子供への教材の与え方(小学校入試もその後も続く考え方) [育児]
以前、このブログでこんなことを書いている。
http://norakuma.blog.so-net.ne.jp/2011-02-25
> で何をいいたいかというと、分野別の出題にも、附属小の色がある。
> それは、問題集から親がフィルタリングして出題すべきで、むやみに「全部こなすのは混乱の元」。
範囲もそうだが、レベルも大事。
先日、茂木健一郎さんのツィートで共感するものがあった。
脳科学者茂木健一郎氏の連続ツイート第742回「自分の課題は、自分で決める」
http://togetter.com/li/387990
まったく同感。
レベルをうまくあわせれば、子どもの好奇心とやる気を引き出すことができる。
「やや難しい」教材の見極めが肝なんだ。
※幼児や小学生低学年は、まだ自分で決められないので親が関与するのはしょうがない。
■レベルの把握
そこで大事なのが、採点の時の口頭試問。
小学校2年になったちび1号であるが、附属小用の勉強のときと変わらず、採点時には
私からの口頭試問を受けている。
我が家では、今のところ自分での採点はさせていない。
私にとっては、ちびのレベルを図るのがこのタイミングしかないからである。
もうひとつ理由があるが、それは後述する。
・どういう考えで回答を導きだしたのか。
・どういう順番で考えたのか。
それらの問いに対する回答の内容、回答時の自信の有無などを踏まえて、
次に進むべきか同じようなレベルの別の問題をさらにやらせるかを判断している。
いつまでも同じことを繰り返していれば飽きる。
難しすぎることを与えられてもやる気は失せる。
やや高いレベルのものを与えて、好奇心と挑戦心に期待するのだ。
そして、その課題を達成できれば、大げさにほめる。
できるレベルを与えているので、間違った内容に応じた叱り方をする。
できないレベルをうっかり与えたときは、難しすぎるものを与えたことを謝る。
■ちょうどいいレベルの感度
ちょうどいいレベルの見極めが大事。
市販の問題集であうものがなければ、自分でも問題を作る。
ちょうど今実感していることがある。
年中さんのちび2号である。
ちび1号は年長の秋からしか学習らしきものをしていないが、
上の子が毎日学習する姿を見ているちび2号。
自分も一緒に「勉強する~」と毎日鉛筆を握っている。
先日部屋の片づけをしているときに発掘した、ちび1号が1年生の頃に
やっていた数字パズル初級。
試しにルールを教えて、ちび2号にやらせてみたら意外と解いてしまう。
が、まだ解き様が固まってはいないので、それなりに試行錯誤している。
ヒントが2つあって答えられる問題を、自信なさげになんとかできるレベルである。
しかし持っている問題集は、次からはヒントが1つ減るものになる。
問題集的には同じレベルの問題でページが進んだ扱いになっている。
私は、まだヒントが1つのものへは進めないと判断して、問題集はここで中断。
そのため、似たような問題を自分で作って渡すことにした。
小2の上の子は、レベルのギャップがある程度あっても耐えられるが、
年中の子にとって、レベルのギャップは慎重になる。
全部で10手順くらいある問題のヒントが1か2か。
年中さんのちび2号へは、そのレベルで調整している。
■採点時の親
私は問題集の答えは捨ててしまう。
ちびたちが問題集を持ってきたときに、その場で答えを考える。
一通り自分で回答ができたタイミングで、初めて口頭試問。
その間、ちびたちは隣で直立。
なにを聞かれるかおそらくびくびくしてることだろう。
親が問題集に付属する答えだけを見ていては、適切な口頭試問はできない。
自分でやって初めて、問題間の微妙な違いが判断でき、特にその段階で
子どもが誤った答えを出したりつまづいたりした場合、その内容を口頭試問に
反映することができる。
■口頭試問のもうひとつのメリット
自分で口に出して説明することで、自分の理解が進む。
他人が理解できるように説明するためには、自分が十分に理解しており、
かつ、自分の言葉で説明できるレベルまで咀嚼しなければならない。
子どもの説明を親がきちんと聞いて、けして親が先回りして理解してあげては
いけない。
近頃は、ちび2号の学習時には「お兄ちゃんに教えてもらいな」とちび1号に
教師役を押し付けることもある。
そんなとき、ちび1号ははりきって「どうしてこう考えたの?」とちび2号相手にやっている。
私にとっては一石二鳥。
http://norakuma.blog.so-net.ne.jp/2011-02-25
> で何をいいたいかというと、分野別の出題にも、附属小の色がある。
> それは、問題集から親がフィルタリングして出題すべきで、むやみに「全部こなすのは混乱の元」。
範囲もそうだが、レベルも大事。
先日、茂木健一郎さんのツィートで共感するものがあった。
脳科学者茂木健一郎氏の連続ツイート第742回「自分の課題は、自分で決める」
http://togetter.com/li/387990
まったく同感。
レベルをうまくあわせれば、子どもの好奇心とやる気を引き出すことができる。
「やや難しい」教材の見極めが肝なんだ。
※幼児や小学生低学年は、まだ自分で決められないので親が関与するのはしょうがない。
■レベルの把握
そこで大事なのが、採点の時の口頭試問。
小学校2年になったちび1号であるが、附属小用の勉強のときと変わらず、採点時には
私からの口頭試問を受けている。
我が家では、今のところ自分での採点はさせていない。
私にとっては、ちびのレベルを図るのがこのタイミングしかないからである。
もうひとつ理由があるが、それは後述する。
・どういう考えで回答を導きだしたのか。
・どういう順番で考えたのか。
それらの問いに対する回答の内容、回答時の自信の有無などを踏まえて、
次に進むべきか同じようなレベルの別の問題をさらにやらせるかを判断している。
いつまでも同じことを繰り返していれば飽きる。
難しすぎることを与えられてもやる気は失せる。
やや高いレベルのものを与えて、好奇心と挑戦心に期待するのだ。
そして、その課題を達成できれば、大げさにほめる。
できるレベルを与えているので、間違った内容に応じた叱り方をする。
できないレベルをうっかり与えたときは、難しすぎるものを与えたことを謝る。
■ちょうどいいレベルの感度
ちょうどいいレベルの見極めが大事。
市販の問題集であうものがなければ、自分でも問題を作る。
ちょうど今実感していることがある。
年中さんのちび2号である。
ちび1号は年長の秋からしか学習らしきものをしていないが、
上の子が毎日学習する姿を見ているちび2号。
自分も一緒に「勉強する~」と毎日鉛筆を握っている。
先日部屋の片づけをしているときに発掘した、ちび1号が1年生の頃に
やっていた数字パズル初級。
試しにルールを教えて、ちび2号にやらせてみたら意外と解いてしまう。
が、まだ解き様が固まってはいないので、それなりに試行錯誤している。
ヒントが2つあって答えられる問題を、自信なさげになんとかできるレベルである。
しかし持っている問題集は、次からはヒントが1つ減るものになる。
問題集的には同じレベルの問題でページが進んだ扱いになっている。
私は、まだヒントが1つのものへは進めないと判断して、問題集はここで中断。
そのため、似たような問題を自分で作って渡すことにした。
小2の上の子は、レベルのギャップがある程度あっても耐えられるが、
年中の子にとって、レベルのギャップは慎重になる。
全部で10手順くらいある問題のヒントが1か2か。
年中さんのちび2号へは、そのレベルで調整している。
■採点時の親
私は問題集の答えは捨ててしまう。
ちびたちが問題集を持ってきたときに、その場で答えを考える。
一通り自分で回答ができたタイミングで、初めて口頭試問。
その間、ちびたちは隣で直立。
なにを聞かれるかおそらくびくびくしてることだろう。
親が問題集に付属する答えだけを見ていては、適切な口頭試問はできない。
自分でやって初めて、問題間の微妙な違いが判断でき、特にその段階で
子どもが誤った答えを出したりつまづいたりした場合、その内容を口頭試問に
反映することができる。
■口頭試問のもうひとつのメリット
自分で口に出して説明することで、自分の理解が進む。
他人が理解できるように説明するためには、自分が十分に理解しており、
かつ、自分の言葉で説明できるレベルまで咀嚼しなければならない。
子どもの説明を親がきちんと聞いて、けして親が先回りして理解してあげては
いけない。
近頃は、ちび2号の学習時には「お兄ちゃんに教えてもらいな」とちび1号に
教師役を押し付けることもある。
そんなとき、ちび1号ははりきって「どうしてこう考えたの?」とちび2号相手にやっている。
私にとっては一石二鳥。
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